泣き虫王子

 

自己紹介

都内高専から電通大編入する予定のロスチャイルド太郎です

 

とりあえず第一話として自己紹介でも書いておきます。

 

 

 

生まれ

東京都の一等地(自称)である品川区にて、「おぎゃあ」と発する声とともに爆誕
体重は3206gであった。(知らないけど多分これくらいだろ)

 

人生初の事件は2歳。祖父母の家にて、長針の画鋲を美味しくいただき、一時は緊急開腹オペの可能性もあったが、なぜか画鋲はう◎ことなり排出され、事なきを得る。奇跡。アンビリバボー。

 

保育園にも慣れ、そのまま元気に育つも、泣き虫王子のあだ名を付けられ、不服な保育園生活を送る。王子は王子でも、サウジアラビアの王子になりたかった。来世に期待。

 

この泣き虫王子、毎年2月の節分は、鬼のお面を付けた保育士さんを見て逃げ出すのが恒例であった。

もはや、「鬼は外」ではなく、「僕は外」状態。しかしどうやら、このときから僕は逃げるは恥だが役に立つということに関して、この年齢でありながら既知だったようだ。
無駄な戦いは避けるべきである。ましてや、鬼が相手とあれば、「生兵法は大怪我のもと」である。豆で対抗するなんて、B29に竹槍で対抗していた何処かの○○○○(コンプラ)と同じだ。

 

真面目なこと書くと、するためにを投げるんだっけ。
みんなも、このムダ知識を明日の合コンで使おう。
だれか合コン開いて。

 

 

小学校時代
ウキウキルンルンで入学するも、周りは全員知らない人間。そう全員がいわば敵、言い換えればライバル、もしくはエネミーだ。


ここでは、いかに運動会のリレーにエントリーできるかについて研究し続けていた。なぜなら、小学校では足が速けりゃモテたのである。なんて純粋な世界だろう。単純明快。そういうわけで、僕は女子からチヤホヤされたがために短距離走だけは全力でやっていた。
しかし残念ながら、6年間を通してリレーに出場することは叶わなかった。
毎年の補欠要員。

だがしかし、最後の最後に転機が訪れる。
小学校の教育課程6年間が過ぎようとした時、品川区の小学校(6年生だけ?)全体での運動会があった。そこで僕はなぜかクラストップの短距離走結果を出してしまう。
僕は思った、「おお、神よ、、、1年遅いよ…」。

足が速けりゃモテる小学校生活が終わる直前で脚力が圧倒的成長を遂げた。とてつもない今更感である。あのときは、一度は留年しようかとも考えた(嘘)

残念ながらモテることは無かったが、なんやかんやで、小学校は平穏に卒業した。

 

中学校時代
僕の通学範囲にある中学校において、統廃合による合併があり、これに起因する内乱が予想されたため、地域外の中学校に進学し、平穏な生活をおくることを目指した。

入学して初めて着る制服。僕の中学校は学ランだったが、サイズがでかいのに、首が絞まり、気分が良いものではなかった。とはいえ、3日で慣れる。

入学式や朝のHRで「中学生としての自覚」という、僕にとってクソほどどうでもいい教育理念を毎日のように言われるも、根はあくまでも真面目な泣き虫王子だったので、反抗することなく真面目キャラで3年間過ごすことにした。

幸運にも、最初のクラスは安全な雰囲気が漂う真面目ちゃんクラスだった。

 

その雰囲気を感じるとともに、まずはじめにしたことは、もちろん可愛い子探しである。あの子は可愛い、あの子は普通、あの子はブサ〇〇(コンプラ)、という風に格付けをしていた、のかもしれない(あくまで"かもしれない"ということを忘れないでいただきたい)。中学生ながらGACKT並の一流選球眼を目指していた。

幸運にも一番可愛かったのは、隣の席の子だったと記憶している。最初のクラス、誰が居たか覚えてないけど。

一流選球眼を目指し、格付けをしていたが、僕には残念ながら自ら女子に話しかける術がなかった。方法も分からなかった。なんなら、男と女の体の違いも分からなかったかもしれない(これは嘘)

さらに、まわりは、小学校が同じメンツばかりで固まっていて、ほぼ完全外様な僕は、その輪に入る勇気も方法もわからない。僕の中学校生活1週目は絶望的なものに感じた。

とりあえず、何話せばいいかわからないけど、その隣の女子に話してみた。いや、もしかしたら向こうが気を使って声をかけてくれたのかもしれない。マジ感謝卍。当時の僕にとってあの子が女神(※)に見えたのは言うまでもない。女神、結婚してくれ。(その女神とは中学校3年間同じクラスになる。まさに運命)

「やったぜ、人と話せたぜ」という高揚感は、初めて人間と会話したE.T.の気分だった。E.T.の映画見たこと無いけど。

(※こうやっておだてておけば、現実の方でで良いことがあるかもしれないから女神とかって書いてます。)

 

 

お昼休み。

僕の中学では昼食(カッコつけるとランチとも言う)は3年生まで全員が同じ部屋で食べる。幸運にも便所飯強制的に回避できるシステムだ。よくできている。
(そこまで考えられてなかったかもしれないけど)
わりとぼっち生活だったものの、このランチから同じ班の人達と打ち解けることに成功した。ついでに、小学校時代に塾が一緒だった(話したことは無い)やつもいてワロタした。紆余曲折を経て、中学校スタートダッシュはなんやかんや耐えることに成功した。

 

大事な行事:運動会
この学校では春ごろの運動会を企画しており、女子にカッコつけるチャンスである。なんといっても、足が速ければモテるんだから。絶対にリレー代表に俺はなると心に強く決心する。しかし残念ながら、初回の運動会におけるリレーの代表決めは他薦での選出がメインだった。僕が足速いの知ってる友人は、不幸なことに1人も居ないため、代表選出されなかった。抗議したい。

そんなこんなで始まった運動会。僕はもちろんクラストップ(自称)の脚力で短距離走を一位通過する。隣のレーンのやつはどうやら隣のクラスのリレー代表だったらしいが、ぶち抜いてやった。
快っ感♥セーラー服と機関銃より引用)

そういえば、無名のランナーが代表選手をぶち抜くという偉業をやってのけたのに、なぜか女子からはモテなかった。どうやら、「足が速けりゃモテる」神話は小学校までのようだ。悲壮感でいっぱいおっぱいである。

 

その後も、こんな感じで1年間過ごす。友達は両手で数えられるくらいかな?

 

ちなみに、東日本大震災が起きたのもこの学年だった。
バカだったので、とりあえず騒いでた。電子辞書で、数十年前にも同じ震源地震が起きていることを発見し、これはミステリアスな事件、外国の陰謀なのではないか。。。。って思ってた。

 

2年生

クラス替えで他のクラスとごっちゃになる。悲しいことに、隣のクラスは割と荒んだクラスだったため、不良みたいな人たちとも同じクラスになってしまった。

真面目系ぼっちの僕としては、不良は一番の大敵である。ポケモン風に言うと、

・真面目VS不良=こうかはばつぐんだ(ダメージ2倍)
・ぼっちVS不良=こうかはばつぐんだ(さらにダメージ2倍)

 となるため、合計で4倍のダメージを食らうことになる。

こういう事言うのも良くないけど、中2が一番面白くなかった。

可愛い子が3人くらい居たのが救い。でも、そのなかで辛うじて喋れるのは1人だけ..。

中2はとくに書くこともないので割愛します。
さらには、女子同士の戦いとかもあったので好きくない。

 

終盤には、区大会に短距離選手として学年代表として出ました。それなりの成績でしたとさ。ちゃんちゃん。

 

3年生

中学校も終盤。進路や将来のキャリアプランについて考える学年。とはいえ、キャリアプランという言葉を知らなかったのは言うまでもない。

絶望の中2期を乗り越え、若干の女友達とそれなりの男友達がいたので、3年間で一番エンジョイできた要素があったと思う。

さらに、この年の僕のクラスは、とてもとてもかわいい子が多かった。

冒頭の女神(※)とか天使みたいな子とか、非常にすんばらしいクラス。全員と結婚したい、そんな気ブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンインフルエンサーヘイヘイヘイ
(乃木坂46 インフルエンサー Now On Sale)

 

さて
最初の行事は修学旅行?で京都へ行った。班員はクラスの天使や清廉女子っぽいひととかがいた。多分。

場所は京都だったけど、僕らの班はちょっと頭がオカシイのか清水寺には行かず、よくわからない寺院を回っていた。それはそれでまた一興だ。そういうことにしておこう。
こういう時に反論すると女子は怖いんだ。

 

2-3日旅をしてたけど、終始、班員の天使みたいな子と「結婚したい」以外の感情が無かった。さすがに嘘です。

でもそれくらい天使だった。いい匂いするし、不思議。
ほんとに天使なのではないかと錯覚した。

 

 

天使といえば、天使もえには何度もお世話になりました。こっちの業界の天使もかわいい。もちろん、これからもお世話になります。よろしくおねがいします。

www.dmm.co.jp

 

 

さて、
中3といえば多くの人が通ってきた受験が待ち構えています。
僕も初めのころは、「あの子が〇〇高校に行くから、僕も同じところを目指そう」と思っていました。ちなみにその高校は偏差値63くらいだった。
まあ、校舎が古すぎて行く気失せたけど。

 

僕の偏差値変遷を晒しておきます。利用した模試はV模擬です。
大体の目安は、半年前→3ヶ月前(志望校決定直後)→1ヶ月前
国語55→50→50
数学60→58→67
英語60→63→63
社会63→63→63
理科67→67→60
僕の受験した学校は、都立でありながら国数英の3科目で数学に傾斜配点があったため、勉強後半は数学に全振りしてた。
高校名を都立高専(高校じゃないけど)というのだが、知名度も低く、5年も通う必要があり、留年も多く、女子は居ないというギャンブラー的選択だった。

あの時、普通高校に行っていれば今頃僕は幸せな家庭を築いていたのかもしれない…。
話が前後するが、僕が築いたのは、5年間という長期間、留年という名の死と隣り合わせ、略して死合わせな課程であった...。

幸運にも、僕はこの都立産業技術高等専門学校というクソほど長い名称の学校に合格し、進学することとなる。ちなみに推薦で受かった。


産業技術高等専門学校で志望で検索してこのブログに辿り着いた息子思いのお母様、お父様方のために書いておくと、僕の内申点は素内申41、試験(実技が1.3倍、理社が1.4倍だっけ)の内申点は約53。真面目系泣き虫王子だから、オール4は当たり前だった。塾も通ってなかったけど優秀であるといえよう()

 

もう進路が決まると、次に訪れるのは別れの季節である。
卒業式練習はまるで軍隊のように整列し、着席し、居眠りすることが許されなかった。
あれはなにか意味があるのでしょうか?
3日くらい練習すれば良くないですか?
まあ卒業式練習の運営に関して多少の不満は残しつつも、結局真面目なので反抗したり、サボったりはしなかった、はず。

 

卒業式前には、舞浜周辺に存在するねずみの国へ卒業旅行で行く(学校全体で)。
もちろん、女子と一緒に回りたかったけど、ぼっちだし、一緒に回ってくれる優しい子(当時の僕とアトラクション回りたい人は狂気的だと思うけど)はどうやらいなそうなので、男と回る。ちなみのそいつは保育園の幼馴染。

ぼっち、来年は女子とねずみの国へ行くことを膣に誓う

 

卒業旅行の後、待つのは卒業式だった。

しかし1週間前、朗報が入った。どうやら下級生に僕に好意を寄せているJCが居るらしい(ここからその女の子のことをJC2とする)。JC2に好かれるなんて、千載一遇の好機。
なんだか、JCって書くと犯罪してるみたいだけど当時は同年代なのでセーフ。
うきうきドキドキの卒業式後、そのJC2の周りの下級生たちが僕を呼び、JC2と写真を撮ってあげて声をかけてきてくれた。「魚心あれば水心」のごとく、僕に好意を寄せて来てくれるレディーには、とても優しく接するので快く快諾。(快くが2重なのは、快くの度合いを強調したいから)

初めはピースだけでいいかなって思ったけど、周りが肩を組めだのなんだのうるさいので、まわりの要求通り全部やった。しかし、そのJC2、なぜか泣き出し、我対応に困る。プログラムエラーで僕もどうすればいいか分からないので、落ち着くのを待つ。我呆然。僕が虐めたみたいになっててつらい。だれか当時の僕に
while(JC2==(-1)*泣く){
なだめる
優しく声を掛ける
}
のプログラムを追加しといてくれ。

10分くらいしたら、JC2平常に戻ったので、我安心する。
色んな人達と話して、祝い会もあるので帰宅しようとする。
そのとき、JC2が「高校でも頑張ってください」と声をかけてくれた。ありがとう。
でも、僕は高校じゃないんだ。女子の皆無な世紀末な高専という異世界に行くんだ。
しかし、JC2からの応援は元気が出るので、進学先では頑張ることを胸(JC2のおっぱい)に誓う。

ああ、、あの時、JC2に電話番号を聴いておけばよかった。。。。

 

いろいろあったけど、
その後はカラオケからのサイゼからの公園でおしゃべりタイムを経てお別れ。
天使ちゃんや、女神ちゃん(※)などなど、辛い別れでいっぱいだった。
別れの時って辛いよね。

特に、ソープで時間になって、嬢とお別れするときはいつも悲しい気分になります。(行ったこと無いけど)

 

あぁ、 みんな元気かな..?

 

 

 

 

高専入学編 

さて、僕の人生の1/4をも捧げてしまった高専生活について、これから書いていきます。

 

高専1年生
都立高専は品川と荒川にキャンパスがありますが、僕は生まれてからずっと品川育ちのキラキラシティーボーイなので、もちろん品川キャンパスへ行きます。
ティーボーイは、荒川という実質埼玉のような片田舎には行きません(各方面から殺される発言)

 

本学では一年生は教養課程みたいな感じで、基本的には一般高校と同じようなカリキュラムで授業が進む。大きな違いとしては、実験実習とレポートがあったり、いきなり数学でsin・cosなどを習い始めるところかな。
とはいえ、特に難しいことは無いので授業は簡単。

 

さて、周りを見渡すと、全員が高専という異国の地に足を踏み入れた勇気ある(ちょっと頭がおかしい)人たちである。知ってはいたけど女子が居ない。何か男ばっかりで、オセロなら男の圧勝。※ただし、青春としては完敗。

高専生という種族は、なんかよくわからないけど初めから親近感がある。
とりあえず、陸上部に入って青春の1ページ目を作ろうとするも、可愛いアイドル系女子マネージャーという存在は漫画の中だけで、高専にはもちろん居ない。ただただ辛い練習をするドM生活だった。辞めたい。

 

10月末 高専
高校で言う文化祭を本学では高専祭と呼んでいたが、これは1年で最も大きなイベントである。なんといっても女子率がちょっとだけ増える。
僕のクラスでは、綿あめという砂糖の結晶を販売した。いろんな色を付けた綿菓子は、今で言う「インスタ映え」「フォトジェニック」である。時代の先駆けである高専は、4年前に流行語を先取っていた。あまりにも早漏(はや)すぎる。

とりあえず僕は友人の女子を2人くらい誘った。
高専の中で女子連れて歩いていると、すぐに「うぇーい、彼女?」みたいなことを言ってくる人たちが高専生は特に多いと思うが、彼女じゃなくても一緒に歩いたり、でかけたりするだろう。高専(特に低学年)は女慣れしてない感が否めない。なぜだろう。

 

クリスマスはUVERworldの武道館ライブに行った。残念ながら男祭りだったので、メンズと行く。UVERworld好きな女の子ください。
何はともあれ、中学校から好きだったUVERのライブは神。


なんやかんや1年通して実験とかレポートとかはクリアする。
ちなみに、一応まだ真面目タイプのポケモンだった僕は、クラストップ20%は常に維持して留年の危機に直面することはなかった。フル単進級卍

 

3月はネズミーランドへ行った。
中3のころ、「今度は女子と行く」とに誓ったが、1年という歳月を経て実現する。
ネズミーランド料金高すぎとか思ったけど、女子と行くので実質0円。
しっかし、1ネズミランド=15二郎🍜だと思うと、悩ましいコスト設定である..。

 

 

高専2年生
2年から8つのコースに分かれて専門課程になっていくが、僕はなんとなく電気科を選んだ。大学進学が良いとか就活も良いとか先輩がいるからとか、色々と選択理由はあったが、結局は一番真面目なクラスだと思ったからである。
(わりと人気だから上位成績者だけしか入れなかった)

 

一番人気の電気科に入れたのは良かったものの、悲しいことに電気科はレポートや課題がとても多い。毎週のようによく分からないプログラムの授業と課題があり、学年が上がるに連れて増えていく。
4年のときは死にそうになった。単位捨てかけた。

 

高専3年生
イキリ意識高い系高専生(自称)だったので、キャリアプランとかマネーリテラシーに関して勉強したり、大学編入を意識し始めた。あの時ビットコイン買っておけば…

そんで、2個上の先輩の入試体験記を読み、俺も今から編入対策始めて大学行ってパリピになるんだ、と胸(将来のフィアンセのおっぱい)に強く誓う。

ただ、残念なことに、意識が高いだけで実行はあまりしなかった。濃厚大とか潰瘍大とかの数学だけ週2でやった。

 

高専3年生が終盤を迎えたころ、中学校の同級生たちが高校を卒業していた。
彼らの制服姿やパリピ感を見て、「僕は入る学校を間違えた」と強く感じ、奈落の底に落ちた気分だった。同時に、僕も大学生になってパリピに成ることをより一層強く誓う。
しかし、3日でその意志は忘れる。絹豆腐も驚きの豆腐メンタル。
今風に言うと「tofumental」

 

(tofubeats)

wmg.jp

 

高専4年生

免許合宿へ行った。僕だけ仮免落ちた、マジガン萎え。
あの日だけ、坂道発進できなかったのなぜだろう。あのトヨタ クラウン・コンフォートのクラッチが悪い。僕は悪くない。絶対。いろは坂でドリフトする夢が1日遠のいてしまった。

 


さて、
学校の方はとっても課題が多かった気がする。
CPU作らされたり、プログラム課題もあって、真面目に捨てる単位を考え始めた。

同時に、編入試験対策を再び解禁する。英語やってた。
授業をサボり始め、内職でTOEIC対策し始める。
成績は落ちたが、3ヶ月でTOEIC455点から745点までアップしたので、問題ない。むしろプラス査定。

「英語の出来ないと言われ続けてきた高専生が3ヶ月でTOEICスコアを300点上げる方法」というタイトルで本出したいので、スポンサーしてくれる出版社さん、待ってます。。

 

3月の受験期前最後の長期休み。
教員からは1日10時間勉強しろと言われたが、高専4年間学んだことは「いかにサボり、低エネルギー生活をするか」であったため僕は、真面目系クズになってしまっていた。
もちろん1日10時間も勉強するはずもなかった。せいぜい1日5時間。

 

高専5年生
なぜかよくわからないが()、1つも授業を聞いた記憶がない。ノートもほとんど存在しない。授業はサボるか寝るか内職するかのどれかだった。
この時期は、如何にして授業や卒研から逃れるか、だけに注力していた。

 

なんやかんや受験勉強期間を耐えて、入試期間となる。
受験したのは

の3つである。
高専三年の頃の望み通り、パリピになるべく埼玉大学という近場の総合大学を受けた。

 

結果としては電気通信大学に合格した。

かなしいことに、埼玉大学には惜しくも不合格となってしまった。
面接でパリピになりたいからですって言ったからかな。(嘘)

農工大に関しては、専門科目を一切やらず、前日にちょっとだけ復習しただけなので、実質受けてないようなもん。ただ大学に受験料を振り込んだ優しい受験生です。

 

農工大の入試の後、電通大の合否発表があったけど、こっちは割と自信あったので、ウェ-イって感じで受かった。

 

大学も決まって、「これから先の高専生活ははスローライフを送れるぞー」と思っていたのだが、卒業研究という魔物が潜んでいたことを思い出す。


夏休みも平日通り出勤し、プログラムを書き、死にそうな目で画面を見つめる生活を送った。でも、うちの学校はブラック企業なので指導教員のほうが死にそうな目をしていることもあった。これに関しては同情する他ない。

 

 

さて
最後の高専では、我々の白いパーカー軍団が会場の一角を占拠し、その同好会名:山暎SKISKI同好会を世に知らしめることとなった。

全国各地から足を運んで我々の販売する写真集CDコーヒーパーカーなどを求めてお客様が殺到し、完売続出、在庫が足らず申し訳なくなるくらいの大盛況となった。 今もあのCDやパーカーが聴かれ/着られていることを僕は強く願っています。
 

 

卒研発表
高専最後の山場といえば卒業研究発表である。
教員6人くらい&学生20人くらいの目に晒され、質問ミサイルを発射してきます。つらい。

そんな発表の前日夜、僕は38℃の熱を出してしまう。
発表まで、僕に残された時間はたった12時間
海外ドラマ「24-TWENTY FOUR-」も驚きのタイムリミットの短さである。

 

キャスト|24:リブ・アナザー・デイ|FOX|FOX ネットワークス

tv.foxjapan.com

 

 

どう考えても平熱には戻らないので、風邪でプレゼンすることにした。つらい。 

それでも心の中では、「オーディエンスが質問ミサイルを発射してくるなら、こちらは生物兵器(風邪菌)で対抗するぜ」と言わんばかりの気分だった。

次の日、多くの風邪菌を撒き散らしてプレゼンを終えた。風邪の媒介による被害者が出ていないことをちょっとだけ祈っておきます。

 

外部での研究発表
いろいろあって理△大でも発表することになった。といっても、今回はパワポではなくポスター貼ってそれを説明するだけなのでチョロい。

参加団体は弊学、理△大、早◎田大学の合計で4-5研究室くらい。発表者は22人くらい

早◎田・理△大といえば、大学の中でもトップクラス。我が産業技術高等専門学校など足元にも及ばない。むしろ海抜マイナスメートル。

そんななかで発表するのは足元が定まらない気分である。エリートちんぽ達相手に雑草魂で説明し乗り切る。早◎田の人たちイケメンだった。とはいえ、僕は来世慶応ボーイになる予定なので、彼らは敵、言い換えればライバル、のもしくはエネミーだ。(※小学校時代参照)

そんな雑草魂を見せつけた結果、投票で僕の研究が4位入賞してしまった。人生チョロい。さすがは来世の慶応ボーイ。

 

しかし、なんやかんやあっても、高専5年間は一度も単位を落とさず卒業できた。自分自身の真面目さに膣キュン。

ミッション・イン・ポッシブルと思われた5年間の課程を乗り越えたわけだし、もうそろそろ幸せな家庭を築きたい...。